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誰か世栄を薄くすと謂わんや

20210626

資本論』の第一巻第一章〜第三章を読んでいると、マルクスは決して経済活動の根源?(原初的状態)を歴史的に解き明かそうとしているわけではないのではないか、と思うことがある。とくにマルクスが交換の発生を偶然的なものとして取り扱っている(交換の始まりの時点での交換レートは偶然的に決められたに過ぎない、としている)のを見ると、マルクスの仕事をそのように理解したくなる。(とはいえ、マルクスの作業の意義が「歴史化」にあるのは否定しようがない)

 

上記に関連して、思うのは「卵が先か、鶏が先か」というイディオムは、まさに弁証法的なものである、ということだ。物事の発生を解き明かすのは困難だからこそ、このような相反する要素を結合したイディオムによって認識する、という点で。